花柳千代プロフィール

花柳千代は6歳より日本舞踊を習い始め、花柳流理事長・花柳応輔師、花柳流理事・初代花柳昌太朗師に師事、花柳流より花柳千代の名前を16歳の時に許さる。
25歳の時、東京新聞社主催、全国舞踊コンクール日本舞踊部にて第1位文部大臣賞を受賞。目白に舞踊研究所を開設、門弟の指導、日本舞踊の基礎の研究に入る。

【主な仕事】

能・喜多長世(現 喜多六平太)、狂言・野村万作(人間国宝)、日本舞踊・花柳千代、長唄三味線・杉浦弘和、囃子・堅田喜三久(人間国宝)、日本を代表される各師と日本伝統芸能五人の会を結成。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(U.C.L.A)に招聘され、U.C.L.A夏期講座で指導。学術会議。衛星放送、ワシントンD.C. ニューヨーク公演。
また、中国芸術研究院招聘にて、43日間各地の舞踊関係者と交流を深め、中国の旅より、創作舞踊「河西回廊」発表。第2作は日中国交正常化25周年に日中合同舞踊劇作品「大敦煌」を、北京、東京にて公演。中国文化部より「文化交流貢献奨」を受賞。
国内外に日本舞踊の紹介を普及。ライフワークに、「日本舞踊の基礎」を創案。日本語、中国語、英語版を出版。さらに、日本語版のDVDを出版。

1978年、團伊玖磨所長より文化庁オペラ研修所の日本舞踊講師に任命され、1998年より新国立劇場開場と共にオペラ研修所の日本舞踊講師を引き継ぐ。2005年より、演劇研修所の日本舞踊講師を任命。現在に至る。200名のオペラ歌手に指導。

経歴

1924年 9月28日。田中チヨ子生まれる。
1930年 6歳の6月6日、日本舞踊を始める。
1940年 花柳流より花柳千代の名を許される。
1950年 文部大臣賞受賞。東京新聞社主催「全国舞踊コンクール」邦舞一部(大人)部門にて第一位。「出船の港」を踊りました。
1951年 花柳千代舞踊研究所を現在地に開設。指導・日本舞踊の基礎の研究開始。
1955年 八千代会とは、千代門下生たちの集団の名称です。1945年11月14日、徳川講堂で第1回の勉強会を立ち上げ、出演の子供たちの仕度から、幕引き、レコードかけまでやりました。小さな会でしたが夢いっぱいでした。
八千代会第10回勉強会。日本橋・三越劇場。子供の出演者多く、踊りは小品ですが50名が参加しました。
1961年 八千代会第20回勉強会。渋谷・東横劇場。名取さんたちも18名になり裏の仕事も手伝ってくれるようになりました。
1968年 文部大臣賞受賞。「全国舞踊コンクール」創作部門にて作品「鐘によせる幻想より久遠」第一位文部大臣賞特別賞・高松宮賞を受賞。以後36回の指導賞、門下生が15回の第一位文部大臣賞受賞。
1970年 文化庁芸術祭優秀賞受賞(創作―鬼舞詩曲― 「鬼来迎」にて)。
1971年

八千代会第30回勉強会。三宅坂・国立小劇場。八千代会の名取たちが杵屋五三遊師に長唄・三味線を稽古していただいてましたので、生徒たちの唄で、長唄「外記猿」を千代が踊りました。三味線のタテは五三遊師のお兄様杵屋五三郎先生でした。

『日本舞踊基礎練習』テキスト第一号を出版。ガリ版刷りの粗末なものでしたが、138頁にわたるもので、8版まで出版しました。これが、『実技・日本舞踊の基礎』の原本になりました。
1973年 4月21日文化庁よりこの日本舞踊基礎練習テキストが舞踊界初の著作権を承認される。(表示番号第10・342号)
1974年 日本コロムビア株式会社より『日本舞踊基本練習』を出版。
1975年 日本舞踊入門の、斬新かつ有意義な研究、優れた企画に対して、コロムビア・ゴールデン・ディ スク特別賞が贈られる。現在はCDとして発売されている。この基本練習曲では第1部は、子供たちのための童唄集を甲斐靖文氏が編曲。第2部は、杵屋正邦師作曲。純邦楽でこの基礎の動きを見て創作くださった作品です。第1、第2、2曲とも「日本舞踊の基礎」の普及を支えてくださった名曲です。動きだけでなく、DVDで音にも耳を傾けてくださいますように。
1975年〜
1981年
「舞踊の動きの比較研究会」開催。第一回「バレエと日本舞踊」。以後1981年までに「民族芸能」「能」「相撲」「アジアの踊り」「文楽人形」との比較を取り上げ発表。
1976年 第一回アメリカ訪問。ロサンゼルス日本舞踊家に招待される。花柳千代創案「実技・日本舞踊の基礎」公開発表、講習会。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校、リオホンド大学、ポモナ大学、ハワイ大学、サンフランシスコ州立大学で基礎演習や実技を教える。
1977年 カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校のサマースクール「アジアの踊りと音楽」に日本舞踊講師として招聘され、6週間、指導、公演発表を行う。
1981年

東京書籍株式会社より『実技 日本舞踊の基礎』を出版。現在19版を重ねる。続いてビデオ発表。

「日本伝統芸能五人の会」(能・喜多六平太、狂言・野村万作、日本舞踊・花柳千代、長唄三味 線・杉浦弘和、囃子・堅田喜三久 各師)を結成。

UCLA雅楽教授・東儀季信氏も加わり夏期講座を7週間指導(学術会議)、ロサンゼルス市二百年祭、ワシントンDC、ニューヨーク公演・衛星放送を行う。ロサンゼルス名誉市民の鍵を贈られる。
1982年 第7回ニムラ舞踊賞受賞(日本舞踊の体系化、国際交流・親善に尽くした功績に対して)。※ニムラ舞踊賞受賞は、長くニューヨークで活躍し広く欧米に名を馳せた国際的舞踊家・新村英一氏の賞で、日本舞踊界では花柳千代が初めてである。
1983年 八千代会第40回勉強会。三宅坂・国立大劇場。花柳流三代目家元花柳壽輔師。八千代会員と文化庁オペラ研修所4期生たちが出演しました。
1984年 芙二三枝子(現代舞踊)、小林紀子(バレエ)と共に、「目白三人の会」を設立。この会は、舞踊の普及と地域文化を向上させることも目的とし、舞踊普及、地域文化向上のためジャンルを超え毎年公演を持つ。2010年9月、25周年記念公演を東京芸術劇場にて迎えた。
1985年 中国芸術研究院より招聘を受け、花柳千代第一回訪中。43日間で、北京、西安、蘭州、烏魯木斉、吐魯番、敦煌、南京、上海の8か所を訪中。中国舞踊の指導者、学者や学生の方たちと交流し、実技発表、基礎を指導した。
1987年

第18回舞踊批評家協会賞受賞(中国の印象「河西回廊」の舞台成果と「実技・日本舞踊の基礎」の考案に対して)。

文化庁オペラ研修所(團伊玖磨所長)において「身体表現術」の1つとして、日本舞踊の基礎を取り上げられ、基礎・古典の指導を花柳太郎と開始。1998年新国立劇場開場と共に新国立劇場オペラ研修所に引き継がれました。
33年間、若いオペラ歌手の男女が200名になり、この研修生の中から日本を代表する歌手が育ち、指導者になった人、世界の舞台で活躍している歌手も出てまいりました。嬉しいことですが、私が思うこと。オペラ歌手を目指したら、高校か大学時代に身体表現術を学ばせたい。国立研修所に進んだら歌に打ち込ませ、日本舞踊は基礎でなく、古典を2年かかってもしっかり踊れるように指導したい。若いオペラの人たちが、日本伝統芸能にふれることも大切なことと思っております。
1988年 香港演芸学院主催「国際ダンスフェスティバル」(International Festival of Dance Academics 1988) に招聘され、日本舞踊を公演・基礎を指導・テレビ出演。参加されたアジアの指導者の方たちに、日本舞踊の基礎を講習する。
1989年 「日本伝統芸能五人の会」(能・観世清和、狂言・野村万作、日本舞踊・花柳千代、長唄三味線・杉浦弘和、囃子・堅田喜三久 各師)として、北京、洛陽、西安にて公演や文化交流を行う。特に西安音楽院での公演は、日中音楽舞踊文化交流に大きな成果を上げた。
1990年 紫綬褒賞受賞(多年日本舞踊家として精進し、多くのすぐれた作品を発表して舞踊界の発展に寄与した業績に対して)。
1992年 中国芸術研究院から卓越した研究者として、中国芸術研究院栄誉研究員の称号を授与される。
1993年 八千代会第50回勉強会。三宅坂・国立大劇場。いつの間にか名取さんたちが100名近くなり、盛んな会になりました。第60回を目指し前進を続けてまいります。
1994年 中国芸術研究院栄誉研究員受賞記念、日中合同舞踊作品「大敦煌」を東京国立大劇場で発表。
1995年

勲四等宝冠章叙勲。日本国天皇は、平成7年11月3日、田中チヨ子に皇居にて勲四等宝冠章を授与。

中国芸術研究院より招聘。「大敦煌」シンポジウム団(花柳寿楽師団長)を結成、訪中。この時参加された中国側の学者、舞踊家、記者の方たちから「大敦煌」の中国公演の強い要望が上がる。
1996年

ジュネーブ大学ジュネーブ州立病院に招聘され、日本舞踊の基礎をダンスセラピーとして公演、指導。

沖縄県立芸術大学非常勤講師(日本舞踊と沖縄舞踊の比較)2001年まで。
1997年

8月、日中国交正常化25周年記念・日中合同舞踊作品「大敦煌」(花柳千代構成・振付・主演および制作)を北京の二十一世紀劇院にて2日間発表。TV放映など、中国でも絶賛される。

中国戯曲学院より名誉教授の称号を受ける。

9月帰国。東京国立大劇場にて、昼夜凱旋公演。NHK『芸術劇場』で放映された。日中舞踊交流の大きな足跡を残した。
1998年

第18回伝統文化ポーラ賞をポーラ伝統文化振興財団より受賞(永年にわたる数々の優れた舞台披露、「実技・日本舞踊の基礎」による舞踊の体系化、斬新な指導法の確立、中国との合同公演「大敦煌」ほか、海外への日本舞踊の普及、国際交流への貢献などに対して)。

遠山敦子トルコ大使招聘により「トルコ・日本基金文化センターオープン」セレモニーに花柳千代、花柳太郎はじめ舞踊団が杮落し(こけらおとし)に踊る。トルコ大統領御夫妻、首相御夫妻。日本から三笠宮崇仁親王殿下、妃殿下、林田文化長官、豊田経団連会長はじめ多類の方たち出席され、またアンカラ大学でのワークショップには日本研究の方たち学生さんたちで大講堂が満員。楽しい交流になりました。

ギリシャ大使館主催の「日本・ギリシャ修好百年記念」公演に招聘を受け花柳千代、舞踊団参加。大きな反響を残しトルコ・ギリシャ両国での日本舞踊紹介、芸術文化交流のつとめを果たしました。
1999年 花柳流・桜寿賞受賞。(永年にわたる舞踊活動による功労に対して)
2001年 世界国際芸術祭(北京)に日本伝統芸術団を結成して参加。メンバーは、狂言・野村万作・萬斎、長唄三味線・杵屋五三吉・五吉郎、囃子・堅田喜三久、各師と、日本舞踊・花柳千代・太郎。北京保利劇場にて公演・レクチャー・デモンストレーション。上海大戯院にても、公演・レクチャー・デモンストレーションを行う。日本伝統芸能の次代を担う二世たちの紹介の公演でもあった。
2002年 12月、中国文化部・中国芸術研究院・中国対外文化交流協会の応援を得、文化芸術出版社より中国語版「日本舞踊の基礎」を出版。100冊を舞踊関係者、200冊を図書館に寄贈。
2003年 文部科学大臣・遠山敦子氏より感謝状を受ける(優れた舞踊、国際的芸術活動に対して)。
2004年 文化交流貢献奨を中国文化部より受賞(私は20年間の交流であるが、50年交流を続けられたバレエの松山樹子先生とご一緒の受賞であった)。
2005年 5月より新設された、新国立劇場演劇研究所の日本舞踊講師に太郎と共に任命される。ビートたけし氏が、この基礎は演劇の人たちがやるべきと云われたが、その通り若い研修生たちの身体訓練に大変役立っている。
2008年 講談社出版サービスセンター(講談社ビジネスパートナーズ)から「日本舞踊の基礎」の英語版が出版される。これからも世界に日本舞踊を紹介・普及のため努力を続ける。
2011年

「日本舞踊の基礎」(日本語版)TV5巻が1枚のDVDにまとまり東京書籍より出版。

外国での仕事は多く文化庁、国際交流基金の助成をいただき実現出来ました。
2014年 第15回「花柳千代の会」千代振付作品集①。
三宅坂・国立小劇場。
長唄創作「若衆舞(わかしゅうまい)」踊り:花柳千代姫
大和楽 「あやめ」踊り:花柳寿二郎
一中節 「都見物左衛門(みやこけんぶつざえもん)」
    踊り:花柳千慶
狂言創作「孑孑(ぼうふり)」
踊り:大ぼうふら 山本悠生、小ぼうふら 花柳千代沙枝、ぼうふらたち 新国立劇場演劇研修修了生たち
一中節 「競牡丹(くらべぼたん)」踊り:花柳千代
 2021年 4月よりニチイホーム野方に入居。10月17日 老衰のため同ホームにて逝去。同月に目白の花柳千代舞踊研究所を閉鎖、本籍地の練馬区中村に花柳千代舞踊研究所資料室(花柳千代アーカイブズ)を開設。

19販 を重ねた著者「日本舞踊の基礎」については、寿柳(としやぎ)流家元の寿柳貴彦氏に版権をゆずり、今後の普及を託した。
(寿柳流にリンク https://toshiyagiryu.jp

伝統芸能再発見、楽しい日本舞踊を笑顔で踊ってみませんか、世界の人と。花柳千代

メディア

NHK
伝統芸能番組に出演、
アートシアター「大敦煌」

テレビ朝日
「徹子の部屋」、
「子ども音楽番組」

テレビ東京
「たけしの誰でもピカソ」

B.S.
「ロシア語講座」、
「どーも君ワールド」(教室にて取材)
他多数

職歴

花柳千代舞踊研究所、主宰。
日本舞踊の基礎を学ぶ会、会長。
花柳千代の会、代表。
二期会オペラ研修所、講師。
新国立劇場オペラ研修所、講師。
新国立劇場演劇研修所、講師。
目白三人の会、同人。

主な受賞歴

1950年
東京新聞社主催「全国舞踊コンクール」邦舞部門にて文部大臣賞受賞。

1968年
「全国舞踊コンクール」創作部門にて文部大臣賞特別賞・高松宮賞受賞。

1968年
東京新聞社主催「全国舞踊コンクール」創作舞踊部第1位

1970年
文化庁芸術祭優秀賞受賞。

1975年
コロムビア・ゴールデン・ディスク特別賞受賞。

1982年
第7回ニムラ舞踊評論家協会賞受賞。

1987年
第18回舞踊批評家協会賞受賞。

1990年
紫綬褒章受章。

1995年
勲四等宝冠章叙勲。

1998年
東京新聞社・平成10年度舞踊芸術賞受賞。

2002年
豊島区・教育功労賞受賞。(目白三人の会)

2003年
文部科学大臣感謝状授与。

2004年
豊島区・文化功労賞受賞。(目白三人の会)

2004年
中国文化部・文化交流貢献賞受賞。

2007年
東京都文化功労賞。(目白三人の会)

花柳千代の会で発表した主な創作作品


1969年
構成・作舞 花柳千代
「催馬楽組歌」
(さいばらくみうた)


広済寺鬼舞詞曲
構成・作舞 花柳千代
「鬼来迎」
(きらいこう)


1973年
案 三宅藤九郎
構成・作舞 花柳千代
「孑孑」
(ぼうふり)


1974年
構成・作舞 花柳千代
古事記より
「黄泉比良坂」
(こうせんひらさか)


構成・作舞 花柳千代
「梁塵秘抄組歌」
(りょうじんひしょうくみうた)


1986年
構成・作舞 花柳千代
-中国の旅より-シルクロード
「河西回廊」
(かせいかいろう)


1994年
案・構成・作舞 花柳千代
台本 海津勝一郎
-中国の旅より-シルクロード
「大敦煌」
(だいとんこう)

風流わらべ遊び
「ちちんぷいぷい」


1997年
日中国交正常化25周年記念
8/18〜19 北京二十一世紀劇場にて
9/17 東京・新国立劇場大劇場にて
日中合同舞踊作品
「大敦煌」
(だいとんこう)


1998年
案 目代清
構成・作舞 花柳千代
「夕日の耳」
(ゆうひのみみ)


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